自分の言葉たち


自分の書く文章が好きになれない。

小論文にはとても向いてると思う。履歴書とか、論文とか、そういうのを書くのにあまり苦労した記憶がない。語彙は足りないので、そこは苦労しても、文章を作るだけなら得意。


自分の話す言葉が好きになれない。

これもまた、面接には向いてる方だと思う。「大人」と話すとか、真面目な話をするのも得意な方。単純に比較はできないけれど。


相手に合わせて、言葉を選べば、その相手に合わせたことを言える。


相手がいなくなった瞬間に、急に言葉は自分がただ発した言葉になる。

その言葉が好きになれない。嫌いだ。

自分の感情が乗ってしまった言葉になってしまう。楽しい感情も、悲しい感情も、ほとんどは乗っかってしまう。


今もそうだ。

ご飯の予定を結構楽しみにしていたが、無くなってしまった。駅で泣きそうになり、電車の中ですこし泣いた。(子どもじゃないはずなのに何してんだ)

これを書いている文字は青い感じ。ブルーな感情、寒い、冷たい、涙の色

嬉しい時の言葉はピンク、楽しい時はオレンジ、寂しい時はグレー、怒ってる時は赤。


感情が乗った言葉はすこし嫌な感じがする。どの感情でも。

感情がないわけじゃない。むしろ喜怒哀楽とか感情の起伏は大きいと思う。


でも、ツイッターって基本的に相手がいない状態、つまり感情の乗った言葉の羅列、だと思ってる。というか、私のアカウントはそうだ。

もちろん文字には感情が乗るし、写真にだって感情が乗る。

そこに他意はないはずだし、ただ感情を出しているだけ。吐き出す当てのない感情を吐き出すだけ。

私は、その場所としてツイッターを選び、生息している。


このアカウントを作ってからもうすぐ2年半。

アカウントにいるのが少ししんどくなって、逃げた。逃げた時に消しておけばよかったのかもしれないなあ、と最近思ったりする。


どこにいたって、何にも変わらないのになあ。


まとまりの無い文章、失礼しました。